あっ〜 どうも。 東洋一のロックンロール・渡り鳥! ファンキーチキンズ、リーダー Mr.Small man Soul Micro komatuzakyこと コマッチです。 いよいよ始まりました! 【ミクロのコロコロコラム】! 記念すべき第一回目は、勿論この人の事から書かないとダメだよね。 我々、ファンキーチキンズがリスペクトして止まない、 クレイジーケンこと 横山 剣さん。 まぁ 第一回目と云う事なんでまだこのコーナーの俺のキャラが、確立していない・・・ mixi日記のキャラと同じでもオモロクないので、こちらのコーナーでは、少し違う感じのネタを取り上げていく様な、作品にしていきたいと思っているので、ィヨロシク頼むわ。 じぁ 早速始めよう! 自分が、横山 剣という人物を、始めに意識し出した20歳の頃の話しから始めてみようかなぁ・・・! あっ〜、もう20年以上も前の話になっちゃうんだよね。 当時、俺はライブハウス【ケントス】という生バンドが入り、古き良きアメリカン・オールディーズなんかを 演出する、お店のスタッフとして働いていたんだ。 その店、6時に、オープンなんだけど、5時に入って一時間、掃除するんだよ。 いわゆる、開店準備ってヤツね。 その一時間はスタッフの好きな音楽をB.G.Mでかけていいわけ。 もちろん、ペーペーの俺に、そんな選曲の権限などなく、そんときのホールキャプテンが(このホールキャプテンから十数年後、俺がケントスのバンドマンとして、仕事をもらう関係になるとは、この時点では、知るよしもなかったが。)いつもかけてた音楽が キャロルとかクールスの『オールディーズ・スぺシャル』 ってアルバムだったの。 俺、その頃ロカビリアンだったから、クールスっていっても、舘 ひろし位しか知らなくてさぁ〜 それに、ブッチャケ!モロ時代って訳でもなかったしね。 曲もさ、ダイナマイトとか、サマーレディとかハーレーとか初期の曲、数曲くらいしか知らなかったしね。 でも・・・ なんか、 いいんだよねーニ そのオールディーズスペシャルってアルバム。 でもボーカル、舘じゃねーし、俺が中学の頃知ってたクールスの雰囲気じゃね〜なぁ〜 なーんて 漠然と思ってたんだよね・・・ このアルバムの一曲目にかかる『ワンダフル・ワールド』(若くしてこの世を去ったR&Bスター、サムクックの’60年初夏のヒット曲を、剣さんが、、時代感覚に満ちた、ポップな日本詞をつけたナンバー)って誰が歌ってるんだろ?って思ったのが、最初の意識した剣さんかな。 まぁこの時は、そこまで強烈な狂剣病には、かかんなかったんだ。 実は、そっから狂剣病に感染するまでには、もうちょい時間がかかるんだ。 それは、何を隠そう! 俺は、始めムーンドックスのイクラさんから入ったんだよね〜。 ケントスで働いていた頃は、ちと記憶に薄いが、まだ微妙にイカ天(イカすバンド天国)ブームが、下火ではあったが、続いてたのかなぁ? まぁでもあまりその番組に興味がなく(ロカビリーがほとんどでないから)、俺が興味があったのは、その後の続編。 トンガリ編ね! これは銀蝿の翔さんとイクラさんが司会をする、まったく予算をかけてないトークショー番組の様なモノ。小学生の時から横浜銀蝿が大好きだった、俺にとって、喋る翔さんが見れるのは、涙モンの番組だった。 しかし・・・ 次第に俺は、メイン司会の翔さんよりも、その脇で放送禁止用語を炸裂する、変なデブキャラに惹かれて行くのである。 イクラさんである! この人の「別に芸能人なんて、やってやってんだぜ〜!馬鹿野郎」的な態度は、20歳そこそこの俺には、強烈に映った。 気付くと、もう翔さんよりイクラさんを見るのが、毎週、楽しみになっていた訳だ。 そして極めつけ! 確か俺の記憶では、翔さんが「イクラもバンドやってるから今日は、コマーシャルの前に一曲歌ってもらおう!」 みたいな感じで、録画ではあったが、アカペラを歌った訳だ。 (俺の記憶が正しければ、GENE CHANDLER&PURE GOLDのDUKE OF EARLだったと思う) もう一発ノックアウト!! その歌の上手さと意外性に。 っていうか 狙っているところが、俺のツボ。 そして、俺がケントスに入社した年の大晦日に、日比谷シャンテに、ケントスの雰囲気を作り、オールディーズナンバーで、踊ろう!的な、B級な企画が持ち上げられ、なんと!この時のメイン司会が、翔さんとイクラさんだったんだ! そこにクールスのジェームス藤木さんが、オールディーズナンバーを歌い、我々ケントススタッフとケントスのお客さんが一緒に踊り狂うという・・・ 俺にとっては夢のコラボ! テレビ中継もされた。 (この模様は、ジェームス藤木、オールディーズを歌うみたいなタイトルだったと思うが、Youtubeで検索すれば、二十歳のピチピチした俺が、見れるよ。) お〜っと。 あまりイクラさんの事ばかり書いてても、今回の主旨とズレるので、イクラさんの話は次ぎの機会にでも。 さて、話を剣さんに戻し・・・(なんか・・・超、戻りずらいんだけど、頑張るぞ!) ナマ剣さんを初めて見たのは・・・ それから、すっかりイクラさんのファンになった俺が【スーパーアメリカンフェスティバル】 って、富士スピードウェイを、一日アメリカにしちゃおうってイベントがあって、これにどうしても行きたくて、その時、単車で事故って松葉杖だったんだが、当時の彼女に支えてもらいながら、何とか行ったわけよ! (ちなみに余談だが、このイベント、今でも続いていて、今年2010年8/1日のアメフェスには、某R&B.BANDのSAX吹きとして二回目の出演をさせてもらう。) もう!圧巻。予想はしていたが、それを上回る凄さ、初めてドラッグレースなるモノを、目の当たりにした俺は、何か奇妙な気分になり・・・ その、地元の暴走族の直管の音など、蚊の鳴き声に思えるくらいのエキゾーストノートは確実に俺の人生を狂わせた。 まぁアメフェスを知らない読者には、まだまだアメフェスの魅力を紹介したいが、これも、いずれこのコロコロコラムに取り上げよう! そして全国から自慢の車やハーレーを乗りつけ、集まった、お馬鹿ちゃん達の前で、富士スピードウェイの本コースに特設ステージを作り、ライブをやってしまう、そのイクラさんの発想に、自分のちっぽけさを感じずにはいられなかった・・・(だってイクラさん、まだ、この頃30歳くらいだぜ!) そして、初めて見るムーンドッグスのライブ! もう最高! ファン・チキで取り上げる数々の剣さんの名曲が、イクラさんの美声にのって奏でられる・・・ そして、そして、演奏も中盤線にさしかかり、出て来ましたよ〜! スペシャルゲスト!! ィ横山 剣が〜〜ゥ しかも、宇宙人踊りで〜! この時、初めて彼女と剣さんについて言った感想の言葉が・・・ 「ナニあれ?だれ?」 だった・・・ そう。 俺も彼女も、全然カッコイイと思わなかったのが、剣さんの第一印象。(ファンの皆様、スイマセンヌ) 今思うに、剣さんは、あの頃からずっ〜と、クレイジィーを通していたんだろうなぁ〜とも思う。 確かに、カッコイイとは思わなかったが、あの強烈なインパクトは俺の記憶に、今でも鮮明に残っているのだからな。 そのかわり・・・ 俺は、この時くらいから、ロカビリーのサウンドよりも、モータウンやドゥーアップ、ソウルミュージックに、興味を持ち始める自分を否定する事は、出来なかった。 まぁ文章も、ダラダラ長くなってきたので、この辺の事は、またの機会に書くとして、中略して書くと、その黒人音楽にそれからハマって行く過程で、日本のソウルミュージックシーンも、俺は再確認したいと思い始め、シャネルズなんかをもう一度、ひっぱり出して聞き出した。 素晴らしい! 日本に、こんな事してたグループは他に無いと思う。(つい先日、世田谷の某ソウルバーで飲んでいたら、リーダーのマーチンさんに偶然出くわし、シャネルズ時代の話や、バンドに対する考えなんかを聞かせて貰い、貴重な体験をさせてもらった。/2010年、7月現在) そうこうしてるうちに、ついに! 俺は『ダックテイルズ』に行き着くわけよゥ この、元祖横浜、横須賀サウンドの 魅力は、何て説明したらいいのか、分からないのだけれども・・・ この京浜方面的、ドメスティックなストリート感覚とでも説明したらよいのか? とにかく、ダックをジャンル分けして説明するのは、難しいし、する必要もないと思う。 この剣さんと、リーダーの山崎廣明さん(元シャネルズ、現在ダイナミクスリーダー)中心とする 横浜のグリース&ソウルの世界観を本当の意味で、 自分なりに理解した時に、初めて剣さんを見た時から全ての糸がほどけた様に、横山 剣という人が、とんでもない天才である事を、確信し、ついに狂剣病に感染してしまったのである。 そしてついに8月7日、我々ファン・チキが、憧れの土地、ィ横須賀で、しかも地元横須賀のソウルバンド! 『スイートソウルズ』 との夢のジョイントライブが決定した! この日は横須賀の米軍基地が、一般解放され、お祭りになるそうだ! そして、祭りに欠かせないのが、『ハ・ナ・ビ!』我々ファン・チキの新曲(オリジナルソング)のタイトルです。 昼間は、基地でアメリカを体験し、そして、夜は我々の、元祖横浜、横須賀サウンドをバックにアメリカの酒に酔うなんて最高のデートコースだと思うんだが、どうだろうか? [月表示][日記を書く] 記事がありません <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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