B 山崎さんと川俣君の巻(2010・9・16UP)
山崎さんと川俣君の巻

さてさて!
ついにこのコラムも三回目ですね!

今回は、私個人的なひとつの節目(厄年)として、我々ファン・チキが好んで楽曲をカバーしている人、横山 剣さんがリードボーカルだったバンド、「ダックテールズ」のベーシスト&リーダーだった

『山崎 廣明』さんとそして、サックスの世界での俺の長年の相棒だった、『川俣 清』君の話しを絡め、自分の自伝的コロコロコラムを今回を含め数回に分けて書いちゃおうと思います!

完全に自己満コラムなんで、その辺も含め読んでくれると、イラっとこないですみます。


思い起こせば、約十年前、現ダイナミクスの前進バンド


『スワンキー・バッピン・ダイナミクス』


元シャネルズ(ラッツ&スター)のピアニスト&エンターテナー、ダックテールズの解散後は、あのクールスのべーシストまで務めあげ、そのクールスも脱退後は、しばしプレイヤーとしての目立った音楽活動をしていなかった山崎さんが、また新たなバンド、それも今度はスイングのビッグバンドをひっさげ、復活すると言う噂は巷に広がり期待と注目を集めていた・・・


というのも、当時ブライアンセッツァーが、ロカビリーサウンドからスイングジャズのビッグバンドサウンドに流れて行く中で、第一期ロカビリーリバイバル世代(まさに我々世代だ)は、あの時のブライアンの行く方向に、違和感を感じた者も多かったと思う。




それは、「なんでジャズなの?」



この想いにつきる!


俺もそうだったが、日本のリーゼント系不良サウンドシーンにおいてジャズなどというのは、度の強いメガネをかけて、平気で譜面台を置き、ダサいネルシャツ着て、小難しい退屈なコード進行で気の遠くなるような長いオナニーソロをパフォーマンス0で聞かされる


オタクの音楽だ、いや!



   「音学」だ!


ってイメージだったからだ。(もちろんこのイメージは日本人ジャズマン限定だが)

しかし、ブライアンセッツァーオーケストラは、このスイングやジャズをコミカルかつ不良っぽくやって見せ、我々を驚かせた。




90年代初頭、日本でもそのアイデアをいち早くロックサウンドに取りいれ、いままでクラシックやジャズの世界でしか使われていなかったオタク楽器、「管楽器」をフィーチャーし、渋谷のストリートを自分達のホームグランドとして、新たなロックスタイルの新境地を築いたバンドがいた



『ジャックナイフ』だ!




まぁジャックナイフの話しは、また機会があれば、取り上げることにして・・・


そのジャックナイフから独立し、自分のバンドを立ち上げ、よりジャズの不良っぽいエッセンスだけを取りいれ、誰でもわかりやすいように、ロックのスタイルで曲も一曲2〜3分にまとめ、しかもインスト(歌ナシ)にこだわってスーツでバッチリ決めてやっているバンドに、俺は出会った。


このバンドのライブを偶然見た瞬間 俺の中で何かが弾けた!

打ち上げに乗り込んで、無理やりバンドに入れて貰った、しかし入ったはいいものの技術のあまりの差に愕然とし、習いにまで行って練習に励んだ。


そして半年後、正式メンバーにしてもらい、バンド名も新たに変わった!


上海風懐古的裏通音楽集団!!!

『MINOR・DRAG』だ!




この俺の二十代後半から長年の相棒となったテナーサックスの川俣君の繰り広げる世界観とアイデアは、今、メジャーとなり、人気者になった「勝手にしやがれ」や「ブラッディストサクソフォン」のメンバー達も、当時よく見に来てくれていたし、実際に自分でいうのもなんだが、絶対に他ではマネのできない、かなりヤバいサウンドのバンドだった!


(余談だが剣さんが自らがCKBのルーツと呼ぶ伝説のバンド ZAZOUのCDライナーノーツのいち文に、以下のような文が載っていたので紹介しておこう。「ZAZOUって名前にしたもう一つの理由に『ジャズやりたい』ってのがあったのよ。ジャズって言ってもアカデミックに追求する気は全然なくて、もっと軽薄でガレージな感じをね。本牧のPIZZAって四角いの。だったら本牧スタイルでガレージなジャズやろうって。
でもいくら『ジャズだぜ!』って盛り上がっても、実際、音出しするのはメンバーなわけでしょ。メンバーはジャズなんか興味ないから、当然拒絶反応示すわけですよ。ま、僕の説明不足が一番の原因だったんだけどさ。」

今、俺が思うに、この時の剣さんのはがゆい気持ちを、実際にバンドで実現させてたのが、俺にとって、川俣君の大きな魅力でもあった。

さらに言うなら、この男!
既にこの時点でバンド名でも分かるように、上海的エッセンスも、音に取り入れていたのだ。


長々と前置きの説明をしたが・・・


ここから、人の縁とは不思議なもんで、山崎廣明さんとの出会いに繋がって行くのである。


ある日、そんな川俣君から俺に電話があり、


「元シャネルズの山崎さんという人から連絡があり、新しいバンドの結成にあたりバリトンサックスで、誘われたんだけど、どう思う?」


俺は有無も言わさず。


「絶対にやっておくべきだ!」と

彼のダイナミクス入りを進めた!

そしてあの、忘れもしない1999年! のクラブチッタ川崎での堂々たるダイナミクスのデビューライブが日本のネオスイング会に金字塔のごとく実現したのである!


そして同時に、その年は我々ファン・チキが結成した年でもあった!

そう!
あのノストラダムスの大予言は、地球滅亡ではなく、


ファンキーチキンズ誕生の年だったのである!(笑)



そして俺にとって、この2つの大きな「流れ」は、(いや・・・正確にいうと4つの流れなのだが)この後、奇妙な、そしてなるべくしてなって行く、俺と山崎さんの痛快かつ危険な関係に繋がって行くのである。
(しかも、この当時、マイナードラッグでは、アート・ブレーキーの『危険な関係のブルース』を好んで演奏していた)



さて、この続きは、コロコロコラム「山崎廣明&ダイナミクスの巻」で書く事にしよう。
(しかしコロコロコラム4でUPされるとは限りません)

では、次回の自己満自伝的コロコロコラムも ィヨロシク!

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