Book1
触れたい背中
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きっかけは、ほんの少しの興味だった。

野球少年渋谷有利とその草野球チームのマネージャーである村田健は、汗と汚れを流すためいつものように銭湯に行き、湯殿に向かうべく各々服を脱ぎ始めた。

「あ〜、汗でシャツが張り付いてる」

自らもシャツを脱いだ有利は、独り言のように文句を吐き出す親友に苦笑してその背中に顔を向けた。

「夏ってのはこういうもんだろ?大丈夫。ちゃんと着替えもあるんだし……」

話しながら、シャツを脱ぎ始めた村田の背中に自然と視線が吸い寄せられる。

(村田って……男のくせして綺麗な背中してんだな…)

最初はそんな淡い感覚があるだけだった。

しかし、それは一度きりではなく、気付いてからは毎回のように視線で追うようになっていった。

そして、有利の中にある思いが育っていく。

(触ったら、どんな感じなのかな…)

ムキムキとまではいかないまでも、それなりに鍛え、ガッチリ日焼けしている自分とは違う、白くて華奢な背中。

夏に海の家でバイトした時に見た女性達に比べれば、まろやかさもふくよかさもない、紛れもない男のものであるそれ。

有利とて年頃の青少年らしく、男の筋ばった身体よりも柔らかそうな女性の身体の方に興味がある。

それなのに、気付けば村田の滑らかな肌に触れたいと切望している自分がいた。

平気な顔で風呂に入っている親友を目にする度に、どこかいたたまれない気持ちを持つ自分がいた。

そして、そんなある日…。

いつものようにシャツを脱ぐ村田の背中を盗み見ていた有利は、フラリと反射的に手が動きかけた事にハッとし慌てて自らを押さえ込んだ。

(…俺……いま…何、を……)

触れたいと、肌の感触を確かめたいと、そう思った。

いや、むしろもっと…触れたらどんな反応をするのか、上がる声は甘いのか、そんな事まで瞬時に想像していた。

これまで必死に目を背けてきたものが、突き付けられたような気がした。

風呂に入るのだから当たり前だし、初めて目にする訳でもないのに、本格的に意識し始めた有利は全裸になる村田の後ろ姿を見て息を飲んだ。

太陽に晒されている部分はさすがに多少焼けているようではあるが、衣服に隠された背中から足は儚い程に白い。

筋肉などという無骨なものは存在せず、細い腰は引き寄せれば折れてしまいそうでさえあった。

腰から続く僅かな曲線はしっとりと吸い付きそうな瑞々しい果実を思わせる。

自然と、有利の喉が鳴った。

眼鏡を外して湯殿へ足を向けた村田が、危うくなった視界で服を脱いでない有利に目を止め、首を傾げる。

「どうしたの、渋谷?ここまできて入らない気?」

「あぁぁ、いや、ななな何でもない!ちょっと、考え事してて…」

「ふぅん…ま、いいけど。じゃ、先に行くよ〜?」

そっけなささえ感じるほどサラリと脱衣所から去った村田を、有利はホッとしたような、残念なような複雑な思いで見送った。

深呼吸し、とにかく後を追って湯殿に入った有利だったが、村田の白い裸身が気になって仕方なく、どうにも目のやり場に困る。

見ないように、見ないようにと意識しているはずなのに、目線は正直に村田の背中を追っていた。

のんきに鼻歌を歌う村田に、ともすれば手が伸びそうになる。

(駄目だって!何を考えてんだよ、俺は!村田は男!俺も男!)

いかがわしい方向に向かう思考を振り払うように手早く頭と身体を洗い、湯舟に入った有利が硬く目を閉じ別の事に頭を持って行こうとしていた時、湯舟に村田の気配を感じて結局はそれも徒労に終わった。

(あ〜!もう駄目だ!)

「俺、先にあがるから!」

耐え切れず、逃げるようにして有利は湯舟から上がる。

「え?もう?珍しいね」

いつもは村田より長湯の江戸っ子であるというのに…。

目を瞬く村田に「お前はゆっくり浸かってろ」と言い置いて、有利は急ぎ足で脱衣所へ駆け込んだ。

だが、息を整えタオルを手にした有利が身体を拭いて服を着かけた所で村田も脱衣所に戻ってきた。

「も、もう出てきたのか?」

「僕は渋谷と違って長湯は苦手だからね」

「あぁ…そう、だな…」

有利に背を向け、タオルを手にした後ろ姿。水滴が流れ落ちる背中は温まって桜色に染まり、しっとりと潤う肌は誘うようになまめかしい。

(見ちゃ、駄目だ…!)

危うく反応しかけているモノを宥めようと深呼吸を繰り返すが、中々うまくいかない。

有利はザワザワと沸き上がってくる感情を、必死に制御しようと足掻いていた。

そんな有利を尻目に村田は鼻歌混じりにゆっくりと身体を拭き始める。

見てはいけないと思っているのに、ほんの僅か視界の端に入っただけで吸い寄せられるように視線が外せなくなっていた。

(今なら、ここにいるのは俺と村田だけ…。ちょっとだけなら…。男同士だし、もっと鍛えた方がいいぞ〜とか何とか、ごまかせば…)

身体を拭き終えた村田が、衣服を手に取り身に付け始める。

(チャンスは…今だけ…)

ゴクリと唾を飲み込み、有利はゆっくりと、震える手を伸ばす…。

と、下着もズボンも履き、シャツを手にした村田が、唐突に振り返った。

「うわぁ!」

「何、渋谷…どうかしたの?」

振り返っただけなのに見合わない程大袈裟な反応をされキョトンとした表情を向けてくる村田に、よこしまな事を考えていた有利は慌てて首を振る。

「べべべ別に…何でも、ない…」

持ってはいけない感情を抱いている事を悟られれば、もうこうして共に過ごす事も、会話する事さえ出来なくなってしまうかもしれない…。

この感情は知られてはマズイ。だが…。

「そう?何だかさっきから、やらし〜気配を感じる気がするんだけど」

「……っ!」

悟られないように、などというのがこの親友に通じるはずなどなかった。

知られてしまった恥ずかしさで、有利の顔が瞬時に熱くなる。

そして、同時に心音が耳に響く程に早くなっていく。

これで、今までの関係ではいられなくなってしまった事が分かった。

それが恐ろしくて必死に目を逸らしてきたというのに…。

朱に染まったまま固まった有利に、村田はフワリといつもと同じ柔らかな笑みを浮かべて距離を縮めた。

え、と僅かに顔を上げた有利の耳元に、村田の唇が寄せられる。

「ねぇ渋谷、ひょっとして僕に欲情しちゃった?…でも、ここではダメだよ。…後で、ね」

「〜〜〜〜〜!!」

今までに聞いた事がないような艶っぽい声で囁かれ、有利の耳から腰にザワリと甘い痺れが走った。

足萎えてその場にペタリと座り込む有利に再び背を向けた村田は、何事もなかったかのようにシャツを袖に通している。

(後、で……?)

その言葉の意味する所を考え、有利はそのまましばらくの間、動く事が出来なかった。


END


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