1/1ページ目 「猊下…今宵、あなたのお時間を拝借したいんですけど、いいですか?いいですよね?」 恋人であるヨザックからそう言われたのは、こちらに帰ってきて数日が過ぎた夜。渋谷だけじゃなく、僕も溜まっていた執務を手伝うため、もう陽が落ちるって頃になってもまだ書類をめくっているような時だった。 ヨザックが任地から戻ってきたのは今日の昼間。久しぶりに会うのに挨拶程度しか出来ていなかった事は悪いと思っている。不在だった間にやらなければならない事がやたらと増えていて、正直それどころじゃなかったとはいえ、一息入れて再会を喜んでも良かったのに。 でも、だからっていきなり何を言い出すんだろう?しかも僕の返事を聞く気はなさそうだし。 「ヨザック…君、いきなり何を…」 「いいよ、村田。行ってこいって」 ニコニコ笑って僕の椅子を引き向かい合うヨザックに、文句の一つでも言おうとすると、それを見ていた渋谷がそう言った。 「いや、でも…」 渋谷もフォンヴォルテール卿も、まだ目の前の書類をこなそうと頑張っている。ゆうべも遅くまでかかったし、今夜もそんな感じだろう。なのに僕だけ抜けるなんて、出来る訳がない。 「もう手元も暗いし、疲れた頭で続けるのは効率も悪い。昨日も遅かったのだ、今日はこのぐらいで切り上げて続きは明日でもいいだろう」 渋る僕を見て、フォンヴォルテール卿までもがあっさりと片付けを始めた。確かにもうあと一息で溜まっていた分は終了するし、ここで無理してまで続けなくてもいいかもしれない。ついでに言えば、そろそろ夕食の時間だし。とはいえ、これってもしかして僕に気を使ってるのかな? 実を言うと、僕らの仲は公認だ。渋谷もウェラー卿と上手くいってから、そういう事に気を回しがちだし、フォンヴォルテール卿もなんだかんだ言ってヨザックの事を気に入っている。久しぶりの再会なんだし二人の時間も必要だろう、とか思ってくれてるのかもしれない。 「と、いう訳でお二人の許可もいただきましたし、晩飯が済んだらお迎えに上がりますから〜」 そう言って早々に退室するヨザック。やっぱり僕の返事を聞く気もなく、決定事項となっているらしい。特別無茶な事を言ってる訳でもないから、まあいいけど。 「二人とも、ありがとう」 ヨザックへの返事の代わりに二人にそう言うと、渋谷は柔らかい笑顔を見せてくれ、フォンヴォルテール卿は眉間のシワを一つ増やした。 * 月が昇る頃になってから迎えに現れたヨザックは、部屋に入るのではなく僕の手を引いて城から連れ出した。 どこに行くのか聞いても行けば分かりますなんて言って馬に乗せられ、月明かりの中、二人乗りで馬を走らせる。林の道は木漏れ日のように月明かりが差し込んでいて、真っ暗ではないけれど見通しはよくない。 本当、どこに行くんだろう?そんなに遠くには行かないと思うけれど、大まかな場所くらい教えてくれたっていいのに。まあ、こういうサプライズ的なのも嫌いじゃないけどさ。 馬はやがて林の中の道を外れてスピードを緩め、道なき道を進み始める。 「猊下、そろそろ目を閉じていて下さい」 「え、何で?」 「その方が、より楽しめますから」 そのために二人乗りで来たのか。とりあえず、何か見せたいものがあるのは確かなようだ。それが何かは分からないけれど、ヨザックがこんな時分にこうしてわざわざ連れ出すって事は、それなりのものなんだろう。 「…分かった」 じゃあ、せっかくだから楽しませてもらおうかな。風の音に意識を集中させながら、僕はゆっくりと目を閉じた。 それからまたしばらく進んで、十数分ほどしてからようやく馬が止まった。 「あ、まだ目は開けないで下さいよ〜?」 「はいはい。君がいいって言うまで…だろ?」 ヨザックは先に馬を下りてから、僕の事も軽々と持ち上げて馬から下ろす。それから、手を引かれて少し歩いた。 降り注ぐ月明かりはどの程度差し込んでいるのか分からないけど、瞼の向こうに光は見えない。けれど、この力強い手に引かれてさえいれば恐い事はないと思える。まあ、それを素直に口にする気はないけれどね。 「猊下、到着しました。もう目を開けていいですよ」 足が止まってそう促され、僕はゆっくりと目を開けた。 「………!」 目の前にあったのは、小さな泉。清しい水の香を柔らかく零し、瑞々しい緑の香を抱いて吹き抜ける風で水面に映る月の姿を揺らしながら、光を銀色に跳ね返している。 光はそれだけじゃない。木々が開けている事で青白く染まる薄闇が溜まった空間に、小さく散りばめられて灯る優しい金の光…。 「蛍…?じゃない。これは…」 「光虫です。この時期になると、この泉に集まって来るんです」 あぁ、そうだった。捕まえればハッキリ分かるけど、これは姿形も蛍とは違う。蛍の様に水場を好んで棲息するこっちの世界での昆虫で、風物詩の一つだ。 「凄い…綺麗だね…」 ひそやかに舞う光を驚かさないよう、自然と声を抑える。この素晴らしい情景を邪魔したくない。 「…猊下」 「ん?」 「誕生日、おめでとうございます」 「え……っ?!」 驚いて顔を上げたら、彼は淡い光の中で穏やかな笑みを向けていた。 「あちらとは少しズレがあるみたいですが、そろそろなんでしょ?猊下の意向で特に祝うような事はしないって聞きましたけど、俺くらいはいいですよね?」 そう、確かにそろそろ僕の誕生日が近い。時間の流れが違うから感覚が変だけど、こうして祝ってもらうのに不自然はないくらいには。 フォンクライスト卿は聖誕祭がどうのと言い出してたんだけれど、丁重にお断りしたのも本当。彼に任せたらとんでもない規模に発展してしまいそうだったから。 「何か贈り物を…ってのも考えたんですけどね、金で買うような物より、こういう方がいいんじゃないかと思いまして」 「………」 それは、どんな意味を持つ言葉なんだろう。 僕はこれから先、もしかしたらいつかこちらに来られなくなる時が来るかもしれない。ヨザックとは逢えなくなってしまうかもしれない。そんな時、物が残っていたら辛いかもしれないから?確かに、そんな日が来ないとは言い切れない。 でもね、僕にとってはある意味物が残るより鮮明な贈り物だよ?ずっと忘れないでいられる思い出になるんだよ? それを知ってか知らずか、ヨザックは僕の肩を抱いて温もりを分けてくれた。 幻想的な風景。感じるのは心地好い風と芳しく潤う自然の恵みの香り。木々のざわめきと小さな命の気配、そして…。 ―――大好きな人の存在。 こんな素晴らしい贈り物は中々もらえないよ。全く、僕の恋人は…。 「…ありがとう、ヨザック」 肩の温もりに手を添えて、そっと身を寄せる。応えるようにキュッと軽く力を込められ顔をあげると、優しい瞳が近付いてきた。 ゆっくりと重ねられた唇、回される腕。回す腕、シャツを握る手…。 そして、腰から下りて撫で回される、手…? 「…何、してるの」 セクハラじみてきた手に、唇をかわして文句をつけた。 「いやぁ、久しぶりにお逢いしたんですし?」 尻を撫で回す手は止めないまま、もう片方の手が上着の中に入ってシャツの上から背中をなぞる。 「だからって…こんな所、で…っ…こらっ…」 制した所で、僕の力で止まる手じゃない。あぁ、もう…!せっかくのシチュエーションが台なしだ。 というか、まさか本気じゃないだろうね。こんな場所で…なんて。そりゃ、ヨザックとは恋人同士になってそれなりに経つし、初めてじゃないんだけれど、だからって…。 「安心して下さい。本当に始めたりしませんから。ただ少しだけ、あなたに触れたいんです」 「…うん」 ヨザックがそう言うならそうなんだろう。彼は僕に嘘は言わない。 もしかしたら、僕の気持ちを察して和らげようとしてくれたのかな。来るかもしれない別れの予感に不安になって、確かめたくなったのかもしれない。 でもね、ヨザック。そんな日が来るとしても、来ないとしても、今日のこの時間は僕の中で何より特別な思い出になるよ。この綺麗な景色を、君と一緒に見られて良かった。 本当に、ありがとう。 広い胸に頭を預け、力強い鼓動とおとなしく抱きしめる事に集中し始めた腕を感じながら、嬉しくて泣きそうになるのを誤魔化すように目を閉じる。 それでも「贈り物」はしっかり脳裏に焼き付いていて、目を閉じているのに、僕にはその情景がいつまでも見えていた。 END . <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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